何が痛いのか、何ができるのか
おはようございますごずさまです。
昨日、ある動画を見ました。
簡単に言うと、世代の違う男性3人がそれぞれの主張をする動画。
彼らは全員黒人です。
最近起きたあの傷ましい事件についての話。
わたしはこれを朝、起き抜けに開いたTwitterで見ました。
眠気なんぞ一瞬でどっか行った。
そして泣きました。
泣きながら起きて顔を洗いながら、
(なんで自分は泣いてるんだ?)
と思ったので、それをまとめるために文を書きます。
そもそもの始まりはある白人警官が黒人男性を殺したことです。
早くも言葉が強い。
ちなみに検視結果は2者対立。
(警察側は窒息死の特徴は認められないといい、
被害者側は明らかに窒息死だと言っている。
まあお互いの立場と主張が180°違うんだからそうなってもおかしくはないけど…という感じ。)
そしてこの時現場にいた4人の警官は全員解雇されたんだけど、逮捕とかはされてないのよね。
それで憤った多くの人たちがいろいろな方法でデモをしたりして遺憾の意を示しているというわけです。
どんな方法であれ、公的に?広く?大きな声で、自分たちの意見を示せるのってアメリカという国のすごいところだなとわたしは思うんだけど、「いい」ところとは言えないのがミソ。
デモが暴動に発展することが多いのです。
かつ銃社会だからもう危険度が日本なんかとは段違い。だんち。
多くの州で暴動と略奪が起き、4000人近くの人が拘束されているらしい。
以下ちょっと脱線
暴動の背景には当然人種差別への抗議の気持ちもあるけど、コロナで仕事を失ったりして生活が苦しくなった人達が大勢いるということも含まれてる。
どうせみんな騒いでるならちょっと乗っかって店襲うか、みたいな?
よくないよね〜〜〜〜!!
だけどその日食べるものに困ってる時、自分と肌の色が違う/同じ人が殺されたことに憤りを感じるか?そういう余裕があるか?
その問いの答えはわたしには分からん、なぜなら幸いにもご飯はいつでもちゃんとあったから。
だけど想像はできるからいうけれども、たぶん大多数がそんな余裕ないと思う。
一部の高潔な人だけがそういう考えに至るんじゃないかなと思う。
だからしょうがないと言えなくもないけど、世間はそうは見ないよね。
大勢集まって抗議活動して、それが仮に暴動に発展してお店が荒らされたとして、
そのとき集まってた人が義憤に駆られた人なのかただ食べ物やら服やらがほしい人なのかの区別つく?つかんよね!っていう。
つまり人は余裕がない限り他人のことなど気にすることもできないし、
あまつさえ何かのためにだれかがやってることの邪魔をしないようにしようなんて慮ることはできないわけだ。
だからたやすく暴動は大きくなる。お店はガスガスに荒らされる。人が怪我したり死んだりする。世界はそれを見て、元々の抗議内容を忘れたり、それが薄まったなと思う。
自由と平等のための行動も、覆したい不自由と不平等そのものによって邪魔される。
これがアメリカの、世界の、「本当は無くなった方がいい考え方が無くならない理由」の1つだとわたしは思う。
脱線終わり。
亡くなった黒人男性の親族(従兄弟とか弟とか)は、簡潔に言えば「2度と同じことが起きない」ことを望んで発言してる。
そして、今現在起こっている暴動に関しては、「暴力や略奪を彼は喜ばない」として、やめてほしいとも発言してる。
で、ここでトランプちゃんが、「略奪には発砲を」的なことをfacebookに書き込み、事態はさらにややこしくなった。
図るに、「どうせ殴られるなら損にならないくらい殴ってやろうぜ」派と、
「もしそういう事態になったらデモをやってる意味がなくなる。相手が強硬だからこそ融和的解決を」派とに分かれちまったのではないかね。
そうして、冒頭の動画が撮られた。
今まで45年我慢して神に祈って、でも何も変わらない、自分たちが大きな声で、力で、今怒って当然なんだ、やるしかないんだって人と、
31年生きてきて、この方法では何も変わらないことを思い知った。だからこそやけにならず、せめて若い世代が考えることができる世の中に保とう、あとは頼んだって叫ぶ人と、
こんなひどい事態を受け止めて、かつ目の前の大人たちの意見をも受け止めて、自分たちこそが世界を変える世代だと、果たして本当にできるのかって硬い面持ちの16才と。
わたしにはそういうふうに見えた。
これ年齢を確認するのにもう1回見たんだけど、やっぱり泣いちゃうな。
全部そうやと思うんよ。その通りだなと。
何しろ16才の彼の肩に乗った何かが大きすぎる。重たすぎる。1人じゃ到底持ちきれん。
だけど歴史に鑑みて、それは誰かが持ちつづけるべきもの。
差別や暴力の前に立ち塞がって倒れていった人たちから受け継いだもの。
誰もがどうにかして正してほしいと望むもの。
16才の彼やわたしたちはその上に生きてるんだっていう事実を目の前にドンと突き出されて、圧倒されて泣いちゃうんだな。
内臓がひねられるような悲しみ、って誰かが言っていましたが、確かにそれに近い。
2020年にもなって、こんなくだらないレイシズムによって人が死ぬ?っていう絶望。
そのレイシズムを正すのに、まだまだかなりの時間がかかりそうだという絶望。
そういう痛みで泣いちゃうんだな。
この感情を見なかったことにしたくなくて書き始めた文だけど、総括してわたしの主張としては、
我々人間は肌の色が違うだけでなぜこうも……猫ちゃんを見ろ。三毛も黒も白も毛のないやつもみんなかわいいだろうが。それでいいんだよ。
ですね。
金子みすずも言ってただろ、みんな違ってみんないいって。そうなんだよ。
だけどそれを認められないか、認めたくないかの人がいる。
そういう人たちを変えないと、世界も変わらない。
じゃあどうするか?
今わたしが書いているこの拙い文章、こういうのをみんながやって、たくさんの人の目に触れるようにしたらいい。
そうして、いろんな気持ちを言葉にして、お互いが考えてることを理解することで、やっと1歩じゃないかと思う。
理解というと難しいけど、『ぼくはこう考えるけど君はどう?なるほどね、そうなんだ。』っていうのを落ち着いてやり合うってだけの話。
それに賛同するかしないかはまた次の問題だから置いとく。
ここまで読んで人の意見を聞いてみたくなった人へ、#Blacklivesmatter のタグをおすすめするね。
黒人の命は大切だ、という意味。
(余談だが、わたしはこれを黒人は問題と共に生きていると読んでた。あながち間違いじゃないけど、matterという単語には名詞の「問題」という意味の他に、動詞の「大切である」という意味があるんやで。今回のはこっちの意味。知ってた?)
たくさんの人がツイートしてて、その中にはやっぱり攻撃的なものもあるから注意です。
そして肝に銘じたいのは、このタグは黒人以外の命は大切じゃないという意味ではないということ。これについてはビリー・アイリッシュの意見と全く同じなので理由は割愛します。ビリーのツイート読んで。
それから、黒人だけが大変な訳じゃないって言う主張も、今はやめよう。
言ってることは間違ってないかもだけど、今その話はしてないの。
論点がボケてしまうと議論って意味がなくなるのでね。
無闇に噛み付いたり落ち込んだりせず、たくさんの言葉に触れたら、考えが深まると思います。
無知でいることはよくない。
世界中の45才の彼、31才の彼、16才の彼、
そして28才のわたしへ、この文を書くことで
何かがありますように。